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_「本日をもって本校を閉校とする」,ふりしぼるように校長が宣言した。時は、1945(昭和20)年8月10日。所は、旧満州(現・中国東北部)・新京(現・長春)第1中学校の講堂でのこと。1年生、13歳だった。「ウーン、ウーン」と空襲警報が鳴っているさなかである。前日のソ連参戦で市内は大混乱。70キロ南の生家・公主嶺(汽車通学していた)に向かう列車に友人と飛び乗った。続々と南下する無蓋貨物列車は関東軍とその家族でいっぱい。武装した兵隊たちも同乗、退却しているのだ。

 当時、満鉄(旧南満州鉄道株式会社)・新京駅の助役をしていた長兄から後で聞いた話だが、拳銃をひけらかした憲兵の命令は軍関係者を最優先させて転進(退却)させろ!「ほかはどうでもいい」ということだった。その結果、残された一般民間人が惨たる状態に追いやられたことは周知の事実だ。

 四兄はシベリアに連れ去られ、五兄は神風特攻隊の一員としてフイリピンで戦死。学徒出陣、海軍中尉、21歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった。「誰のためでもない、祖国の山河をまもるため俺は行く、行くしかないんだ。だから後を頼む、男だからおふくろを頼む」と。

 戦後引き揚げ、少年から青年になって、「戦争は再びさせない」の思いいっぱいだ。だから戦争体験を次の世代に語り、書きつづり、歌でつたえたい。ほどなく傘寿になる。急がなければならない。       (満州っ子)
 
 
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狩野光男画 東京大空襲 
   (吉村薫二作 「紙芝居」)
◆体験者の証言による連作画
 今年も3月10日がきます。
画家の狩野光男さんは、あの東京大空襲を絵画で告発し続けて来ました。地獄絵図のような中をくぐりぬけてきた体験者がつづる証言をもとに連作で10点描きました。その想像を絶する「語り」と凄惨な「絵」のコラボレーションが見るものに迫り、胸を突かれる思いです。
(「東京大空襲訴訟を支援する会」提供)


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沖縄特集・抄
観光産業で栄えるはずの沖縄の美しい海岸通りは、ほとんどが、アメリカ軍の基地に奪われている。辺野古の海が証明している。世帯所得は他県と比べて最低のラインにある。「軍事基地」は沖縄に何ももたらしていない。いのちの安全も、豊かなくらしも、人間としての権利も。だから、これまで沖縄をうたってきた。そして、いまも私は、沖縄の詩を創りつづけている。
(「沖縄詩集」・抄」)発刊にあたって 永井和子)

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「石碑」の誓い 
 太平洋戦争での東京大空襲で最も悲惨をきわめたのは、1945(昭和20)年3月10日の江東地区の大空襲だった。僅か2時間余りの爆撃により、“銃後”と思われていた東京・下町を一瞬にして血みどろの“戦場”にしてしまった。あれから66年、江東に「空襲慰霊碑」をという運動(昭和46年)のなかで作られた写真集・「石碑の誓い」。ご覧ください。


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永井和子詩う はこべの花は (クリック)
かあさん かあさん はこべの花は
どうして萌えるの春の朝に
どうしてゆれるの春の風に
焼かれた土を いちめんの
緑に染める はこべぐさ
つめたい三月 風にゆれて
吐息のような花ひらく
泪のような白い花を


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オンブズマンが行く!

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母子像・「希(ねが)い」 江東区役所前 「十年目に建った母子像」(クリック)
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