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  "Kamikaze Attack" (第13期海軍飛行予備学生学生の手記)   →ここをクリック  


 私、永井至正(旧姓・神島)が座右の「書」にしているものの一つに『雲ながるる果てに』があります。学業半ばで海軍飛行予備学生を志願、1944年、神風特別攻撃隊の一員として、フイリピンで戦死した兄、神島利則(21歳)の同期生が1952(昭和27)年に編集、発刊した「遺稿集」です。

 ときが経ち、紙面は茶色がかっています。言ってみればセピア色した「書置き」とでもいうのでしょうか。あれから67年、私も残り時間が少なくなりました。兄が「あとを頼む」と言い残した言葉を受け継いで、日本の未来を信じながら痛恨の思いで逝った彼ら、若者たちの想い・「雲ながるる果てに」の序文を紹介します。

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●映画 雲ながるる果てに

 戦後数々の特攻を描いた映画のなかでも秀作の一つ。「雲ながるる果てに」は1953(昭和28)年、レッドパージで松竹を追われた家城巳代治が手がけた。制作段階では、脚本はもとより構成に至るまで紙一重で生還した同期生(第13期飛行予備学生・直居欣也―脚本)、遺族の意見を取り入れ独立プロ・重宗プロが制作、大映により配給され感動を呼んだ。

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●神島利則 海軍中尉 戦死

 神島利則(かみしま・としのりー大正13年生まれ)

は、旧満州・公主嶺小学校を卒業後、新京(現長春)中学に入学、その後拓殖大学に進んだ。1943(昭和18)年9月、第13期飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊、飛行訓練を受けた。昭和19年10月、台湾の台南海軍航空隊を経てフイリピン・セブ基地に移動。

 

 1944年(昭和19)年12月15日、午前6時30分、神風特別攻撃隊第七金剛隊として、250キロ爆装のゼロ戦に搭乗、発進した。目標はネグロス島近海の輸送船団。戦果は不明である。全機未帰還。神島もついに帰らなかった。享年21歳。      



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